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< ISEC ハワイアン カルチャー・アカデミー 特別編 > 女神ラカに学び、触れる「カ・フラピコ」

※ 上記の写真は、“モロカイ ブレッド” で有名なカネミツ食堂のご了解を得て食堂内で撮影をさせていただきました。

モロカイ島はフラが生まれた島

フラの起源には諸説あります。ハワイアンの間でさえ混乱しているとも言われます。有力なのは、その昔、モロカイに住むフラの女神ラカとそのファミリーだけが「モロカイ島、マウナ・ロア(山)の頂き、Ka‘ana」で、フラを踊り、守っていたそうですが、ラカだけはファミリー以外にもフラを伝えるべきだと考え、家族から一人離れカウアイ島へ旅立ち、初めてファミリー以外にフラを教えたと言う話があります。従って、実際にフラが初めて生まれた場所はモロカイ島と言う説、フラ発祥の地はカウアイ島だという説が諸説の中で有力となっています。

注・「ピコ」はハワイ語で「へそ、中心」等の意味を持ちます。従って「カ・フラピコ」とは「フラの中心」という意味となります。


カ・フラピコとは

1991年に始まり、クムフラ ジョン・カイミカウアと彼の率いるハラウ・「フラ オ ククナオカラ」そして、モロカイコミュニティーによって設立されました。そこで“フラの誕生地に敬意を払うイベントを!”と始まったのが「カ・フラ・ピコ」です。注・クム・ジョン カイミカウアの本意は西洋化する以前の歴史を生かして人々をすべて教育し啓蒙するための文化的・教育のイベントとして構成することでした。又「カ・フラ・ピコ」は、毎年5月に行われ「ハワイ観光局」やその他の紹介文の一部を引用すると〔1991年に開始されたカ・フラ・ピコ・フェスティバルは、そのモロカイの地で古代フラと現代フラの融合を願い、フラの誕生を祝うフェスティバルで、島の西側にあるパポハク・ビ―チ・パークで行われます。そこではハワイの伝統文化をテーマとした講演や、最終日には、故クムフラ、ジョン・カイミカウアのハラウ・フラ オ ククナオカラを中心としたハワイ各地から参加するハラウのフラが披露されるだけでなく、最終日には屋台で食べ物を食べたり、各種の工芸の展示、フラのパフォーマンス等々があり、時にはビーチで泳いだり、時には木陰でのんびりと横たわったります。〕本年定例の5月(2009年)に第17回目が実施されました。

隠されたメーン・イベント

一般的には、パポハク・ビーチ・パークでの開催に多くの人々は集まり、フラの誕生を祝いイベントを楽しんで過ごすイベントですが、実はそこには「隠されたメーン・イベント」があるのです。女神ラカとそのファミリーのいた場所(モロカイ島「マウナ・ロアのKa‘ana」)でオリとフラを捧げる神聖な儀式が続けられていたのです。

フラの競技大会と違い、誰も観客を期待しない、ただひたすらカアナの大地を踏みしめて、女神ラカに自分の感性で出会い、宇宙へ向かいラカに対してフラの誕生を祝い、古代フラと現代フラの融合を願い神々にオリ、フラの奉納をします。この事は、広告宣伝もせず人々の口端のみでそれはオアフ島を含むハワイ全体にいつしか広がり、この隠されたメーン・イベントにも彼のハラウのみならず、他のクムとハラウも参加していました。

この「隠されたメーン・イベント」はある意味で「メリー・モナーク」と対極にあるイベントと言える事でしょう。ハワイのクム達でも「競技会の場所に立って踊るフラは既にフラではない」と言うクムも沢山います。又穏やかな見解のクム達の中でも「競技会は参加者のモチベーションにはなるがそれがフラの全てでは無い」というクム達は更に多く存在します。一家言あるこれらのクム達、そして熱心なメリーモナークの支持者のクム達でさえもきっとこの「隠されたメーン・イベント」と「カ・フラピコ」の主旨は賛同している事でしょう。

その隠されたメーン・イベントに、当団体「ハワイアンカルチャー・アカデミー」が出場する !

当団体の主催する「ハワイアンカルチャー・アカデミー」の「オリ&カヒコクラス」の担当講師として当団体の理念に長年ご理解、ご賛同、ご協力頂き、併せて昨年日本に「ハワイアン・カルチャーとハワイアン・フラ」が根付き、定着することを願って当団体の要請を受け入れ、日本人のみのハラウを「ハラウ・レイ マカマエ」を設立されたクムフラ・ポニ カマウウにはこの出場に関して多大にご尽力頂き、遂に出場が決定致しました事をご報告致します。そして、日本において更なるフラの向上を志向される方々へ、氏への感謝の念を抱きつつ、当団体の基本的な考え方である「ハワイでなければ学べない」就中「ハワイアン・カルチャーとハワイアン・フラ」を学び、身につける上で、この「カ・フラピコ(特に隠されたメーン・イベント)」へご参加される事によって、ご本人のフラ人生に掛け替えのない貴重な、経験、体感を積み上げて頂ける事を確信し、自信を持ってここにご案内致します。

2009年5月のカ・フラピコに参加して 【 当団体事務局の帰国後の報告文 】

本年(2009年)5月ようやくの思いで「カ・フラピコ」に参加出来ました。大感動の内に無事に行って参りました。
ここで、ハワイでは、大変有名な割には、日本では余り知られていない様なので、当団体事務局の報告文を掲載させて頂きます。

【 フラの女神ラカを学び、触れる 】

何もないから、色々起こるモロカイ島で私達は、先ずは隠されたメーン・イベントのためのオリとカヒコを学びましたのですが予定日が変わり早まってしまい、日昼に今年は催行する事になったのです。何でもラカとそのファミリーのいた「カ アナ」の土地の所有者であり、管理をしている今は活動を休止しているモロカイ・ランチ(牧場)の指示だそうでした。

事務局としても少々心配でクム・ポニに「時間がないので事前のレッスンをマスターできるかどうか大丈夫かしら?」と訪ねました。クムは「生徒達を信じろ!」の一点張りでした。

話が後先になりましたが、今回はハワイアンカルチャー・アカデミーのこれまでの各クラスのご参加者と併せて昨年「Lihi ika wai‘o ho kahi(生涯にわたる 学びの真髄)」に参加し、晴れてクム・ポニ カマウウと師弟の縁を結び、ハワイアン・ネームを授かったフラ・ハラウ「ハラウ・レイマカマエ」の方々と合同でこの「カ・フラピコ」に参加するという構成でした。

ふたを開けて状況を話し、短期間のレッスンを参加者全員、根性を見せて下さいました。さすがにカ・フラピコを良く知り、どうしても女神ラカに触れたいと考える方達です。短期のレッスンを明るく、気合いを入れて学んでいました。モロカイ島特有の「クイ・ステップ」に戸惑いながら、クム・ポニの選曲、オリの選択もすばらしく女神ラカとモロカイ島に関わるオリとカヒコを選んで教えて下さいました。このときのレッスン時で「ハラウ・レイマイカマエ」のご参加者とハワイアンカルチャー・アカデミーのこれまでのご参加者が完全に一体化していくのを目の当たりにして早くも見ているこちらが感激したモノです。又クムもある時は厳かにラカを語り、ある時は明るく楽しく教え込むという状況で雰囲気は益々盛り上がって行きます。又、クムは、授けてまだ丁度半年なのにもかかわらず個々の生徒をハワイアン・ネームで呼び、用事をいいつけたり、ハワイアンカルチャー・アカデミーの参加者へも気さくに名前(姓ではなく)で呼んで冗談を飛ばしながら呼びかけたりしながらレッスンは進みました。

いよいよ、隠されたメーン・イベント誰も知らない「カ・ フラピコ」の当日です。その日の朝は偉大な故クム・ジョンカイミカウアの遺志をついで引き続いている彼のハラウ「フラ オ ククナオカラ」の実行委員の皆さんと共に集合し、簡単な打ち合わせと指示を受け、彼らの車両の後に我々の車両が続き、他に何台分かの特別見るだけの許可をもらった方々の車両と共にキャラバン隊のごとく出発です。目指すは「マウナ・ロアのカアナ」です。集合場所から約40分位してマウナ・ロアのカアナヘ行くゲートで小休止です、既にそこはもう広い山の裾野の中央部くらいらしく遠くを見るとそれが分かります。クム・ポニの顔を見ると「此処は既にマウナ・ロア!」と教えてくれました。

そこでモロカイ・ランチの担当者が鍵を開けるまでに今度は各車両毎に運転手のサインと参加者数を申告して再出発です。そこからは、崖の様な所を上がったり迂回したりしながら進みます。車を走らせるとにわかに広いスペースがあり、そこが駐車場代わりにしている場所の様でした。その場所から更に小高い丘がありそこにはまるで毛氈を敷き詰めた様な道がありました。ここからは歩いていくそうです。皆揃って荷物を持ちながらその丘を徒歩で上がって行きました。クム・ポニも涼しい顔して上がっていきましたが心中「この丘はきついな!」と思っているに違いありません。なんて行っても彼のサイズは米国式のサイズで5XLなのですから。と言うこちらもそんな余計な事を考えなければ登り切れません。

いよいよ丘の上まで登ってみれば、矢張りそこも平地になり、正面に土を平らかにして周りを石で支えて崩れない様にした自然のステージの様になっていました。ハラウ「フラ オ ククナオカラ」の人たちがこの17年の間に築き上げたモノです。そのステージの横には小テントが張ってあり、そのしたには既にこの土地のクプナが端然と涼しげに座っていました。全員がそのクプナの前に座る時に、クプナとハラウ「フラ オ ククナオカラ」の実行委員の人たちが一斉に我々の師であるクム・ポニにここに来てくれた謝意と敬意を表していました。しばらくして席が落ち着いた頃、やおらクプナが、女神ラカとラカの家族の事、そしてこの地「カアナ」とこの広場の周囲の事についても延々と話してくれました。その時代から「ウエヘ」があったなんて!! 今回の昼間の儀式の意義をハワイアンとしての分かりやすい話を聞いた時、クプナの知識は、カフナに通じているのだと感じました。クプナの話を聞いている全員一同静まりかえって彼女の話に聞き入っています。

クプナの話は、20〜30分くらいだったでしょうか?それとももっと短い? 長い? 目的であるラカの話をクプナから夢中で聞いていて、あるいは山上のハワイ特有の“時が止まった”様な空気に押し包まれていたからでしょうか?
いずれかは分かりません。ともあれ今度はステージでのハラウ「フラ オ ククナオカラ」のオリです。参加者一同、気が引き締まって聞いています。そしてオリが終わるとステージには20代前半の女性が1人立ち踊り出します。空気は最高潮です。本当に小説でも書けないくらい風に溶け込み、空気をそよがせ、ふくよかな香りさえ漂わせるというのはあのようなフラなのでしょうか? 周囲は声も出ないくらいその情景に圧倒されています。チキンスキンとはあのことなのでしょうか?又彼女はラカがその息吹を吹きかけて支えてくれていたのでしょうか? あのような清らかな美しさは、実にメリー・モナークと対極にある美しさを我々に与えてくれました。
これが、「カ・フラピコ」、ハワイでは、有名であるけれど実態は殆ど誰も知らない「カ フラピコ」、何の見返りもない「カ・フラピコ」、ラカの見守る「カ・フラピコ」。

最後に我々は、靴を脱いでステージ上にあげてもらう事を許可してもらい、併せて周囲をクプナの話を頭に浮かべ見渡しました。遠くの四方は海。山中の木々と森が風に揺れ我々に語りかけている様でした。既に参加者の一部の方は感極まって大粒の涙をこらえています。全てが無言の中の行動です。
そして、今まで短期であったけれども習い覚えた女神ラカのオリとカヒコ、ハラウ「フラ オ ククナオカラ」の面々も日本の人たちの踊りはどのような踊りなのか?みんな興味津々で見守っています。ある人は“ガンバレヨ!”とばかりに・・・・。

クム・ポニが指揮をとって始まります。女神ラカのオリ、カヒコ。踊っている多くの人が涙がこぼれない様にしている人、涙が止まらなくてその涙をラカがそっと涙を拭いている様に風が成り代わって拭いてくれながら、、、、クム・ポニがこちらを向いて「みてみろ!彼女たちはやったな!」と言わんばかりの優しい笑顔で語りかけていました。 以上

モロカイ島 カ・フラピコ参加出場の内容のあらましについて

先ず、冒頭にご説明しなければならない事はモロカイ島はリゾート生活に関する利便性等は一切ありません。何しろ島内に交通信号が1機しかなく食事をする場所も限られていて、小さなスーパーが2軒あるのみで食事買い物も歩くと遠い、タクシーを割り勘で乗ればあっという間に到着するという不便この上無い場所です。それというのも島民の相違で近代化を否定し、建物さえも3階建てを許さないという島なのです。その代わり小さなその島は神話、古代からの様々な話とマナに満ちあふれ、文字通り時間の止まったような雰囲気を漂わせています。宿泊先のコンドミニアムも何から何まで揃っているわけでもありません。この島では他にホテルが一軒と先述したコンドミニアムが何件かある程度なのです。ホテルは既にこの時期は、前年からの予約で泊まれません。)上記のような不便さが耐えられない方はとてもご参加は無理だと思います。ある意味では“それがモロカイ島”と言う事が出来ましょう。目的だけを視線に捉え、過ごしていきたいものです。

< ISEC ハワイアン カルチャー・アカデミー 特別編・カ・フラピコ・日程のあらまし >

出国・入国・チェックイン
H22年5月○○日(○)
1>成田又は関空発  2>ホノルル空港着  3>現地国内線乗継(午後)
4>モロカイ島ホオレフア空港着  5>空港より車両にて宿舎へ
6>宿舎チェックイン  7>チェックイン後、オリエンテーション
初日   5月○○日(○) ◇朝・開校式  ◇レッスン
2日目 5月○○日(○) ◇野外研修&レッスン・車両にて
3日目 5月○○日(○) ◇野外研修&レッスン・車両にて
4日目 5月○○日(○) ◇儀式、オリ、フラ奉納・車両にて( Ka‘anaヘ)
注1・儀式終了後、パポハク・ビーチ・パークヘ(お楽しみ下さい)
注2・夕刻より夕食会又はサヨナラパーティー(ホイケ)
5日目 チェックアウト・出国
H22年5月○○日(○)
1>宿舎・チェックアウト  2>車両にてホオレフア空港へ
3>現地国内線搭乗  4>ホノルル空港国際線乗継
帰国   5月○○日(○) ◇成田又は関空着
注1・正確な日程は、2010年に詳細確定した段階で表記致します。
注2・上記の内容は予告無く変更されることがあります。確定された内容は「オリエンテーション」でのご説明となります。
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